2018年5月10日木曜日

Jane’s Walk in Tokyo - Kagurazaka 2018


Jane’s Walk in Tokyo - Kagurazaka 2018                                       
2018428日(土) 11:00-16:00
City Organizer - Shunji SUZUKI
サポート:NPO法人粋なまちづくり倶楽部
集合場所:東京理科大学森戸記念館

2018Jane’s Walk in Tokyo は神楽坂及び周辺地区を舞台とし、6名の案内人による6つのコースで行われました。参加人数は合計33名でした。初めにオルガナイザーからジェイン・ジェイコブスについて紹介するレクチャーがあり、その後案内人からテーマとコース紹介があり、参加者は好きなコースをひとつ選びまち歩きを開始しました。少人数だったので、歩きながらお互いに様々なコミュニケーションができました。まち歩きの後、全員が集まり、気づいたこと・発見したことなどを発表し終了しました。

各コースの概要と「気づき」は次のとおりです。

テーマ【コミュニティ】 案内人:藤野貴之
ルート:ポルタ神楽坂~花柳界~アトラス神楽坂~東五軒町あたりのマンション・白銀公園~赤城神社~赤城下町・あかぎ児童遊園~一水寮~パークリュクス~寺内公園
気づき
●アトラス神楽坂
-同潤会でのコミュニティを継承したコモンスペース(集会所・中庭・屋上庭園)は機能、デザインとも秀逸。しかし、この時代では仕方がないかもしれないが、住民以外がこの空間に入れないし気づけない。(向かいのマンションは借景として楽しんでいるようだ)
●赤城神社、パークリュクス
-建設時の経緯を日置さんより説明を受ける。赤城神社の事例があったのでパークリュクスのギャラリー、休憩スペースもできた。そういった経験を継続・拡散していくやり方がコミュニティ空間を広げていくのには非常に有効だと感じた。
●赤城下町付近の密集住宅地
-印刷工場のコンバージョンによるカフェや木造民家を利用したスイーツ店など、このエリアの空き家などが、家賃の安い物件の供給元になっているようだ。
-変にファサーードをいじるより、潔く工場の外観のままだったり、バラック小屋のような外観の方が個性がある。神楽坂らしさという点でもよく出ていると感じる。
-防災面での対応をどうするかが課題。
●寺内公園
-神楽坂は変わっていくことを悪いと思っていない。高層マンションは今でも良いとは思わないが、変わったもの、変わってしまったものの後に対立構造を残したままにせずに、何をすべきかを考えてきたことがハード面でもコミュニティの面でも今の神楽坂を作っているのではないか。

テーマ【漱石探訪】 案内人:増井敦子
お1人参加でしたが、漱石を目的に参加、その為に事前に本も読まれていて、粋まちのボランティアさんなので、今後に置いて役立つと良いかなと思い、この街の雑学も交えて、楽しくガイドさせて頂きました。
ルート
Ÿ   緑香園で、お食事をしてその際に、漱石と関わりの有ったお店を田原屋、尾沢薬補、毘沙門様を紹介して、神楽坂通りからスタート。相馬屋~寺内公園~和良だな寄席跡~丸岡陶苑~芸者新道~料亭末よし跡~軽子坂~揚場町~かくれんぼ横丁~小栗横丁(泉鏡花、北原白秋旧居跡)~理科大近代科学資料(ここで漱石と理科大の関わりビデオ鑑賞)(若宮町を通り抜けて)中町の宮城道雄記念館門前~袖摺坂~芸術倶楽部跡~尾崎紅葉旧居跡(鳥居邸)~矢来町新潮社跡(鏡子夫人実家跡らしき中根家跡)~矢来能楽堂~矢来公園(小藩邸跡、杉田玄白誕生地)~泉鏡花旧居跡~多聞院(松井須磨子の墓)~漱石山房~漱石終焉の地は口頭説明~東西線、早稲田より乗車、神楽坂を目指す。
Ÿ   歩行時間 2時間10分、距離、2.5km
 感想
Ÿ   参加者が、比較的お若く健脚でしたので、漱石以外にも神楽坂ゆかりの場所を、人を探訪する案内となりまして、その大半が路地、住宅街の中に点在。大きな通りの1本の道を歩いているのとは異なる入り組んだ道、路地、住宅街に、徳川武家社会が整備したこの街を、個性豊かな明治の学者、文豪、作曲家、女優等がこの街を文化の彩り濃い街とした背景を垣間みるまち歩きとなりました。温故知新、過去を振り返る事で、この街としての過去から現在に至る街の魅力を再認識するガイドとなりました。参加者も若松河田居住、生まれ育ちもこの地なので、その地に関わる文豪を再認識して、普段、表立って知れない街の魅力を再認識したいとおっしゃっていました!!

テーマ【景観】 案内人:西谷正
コース等
    (1) 開始後「縁香園」にて昼食をとりながら、神楽坂の概略の歴史等についてレクチャー。江戸時代~明治・大正~戦前~戦後(復興)~平成
    (2) 食後、配付資料の地図・写真をもとにまち歩き          毘沙門天~藁だな~五十鈴~坂上交差点~神楽坂駅付近~赤城神社~大久保通り(拡幅の話)~高照寺~最高裁長官公邸跡~若宮神社~小栗横丁~熱海湯階段~丸岡陶苑~陶柿園~志満金~神楽坂下交差点~JR飯田橋駅~芸者新道~かくれんぼ横丁~本多横丁~兵庫横丁~寺内公園~毘沙門天

感じたこと・意見 等
Ÿ   石畳の路地は神楽坂のひとつの大きな特徴でもあるので、いつまでも残してほしい。
Ÿ   「みち」が明治の頃からほとんど変わっていないことには驚いた。
Ÿ   「みち」と「まち」には密接な関係があると感じる。
Ÿ   まちの昭和の風景写真はたしかに昭和であるが、建物が変化したとはいえ、全体として大きく変わった(わからなくなるような変化)ものはないと感じた。
Ÿ   周り(千代田区の再開発事業等)は変わってきているが、その中で神楽坂が今のままでいることは、いい意味でギャップとなり、より特徴が明快になる。
Ÿ   神楽坂通り沿いの新しいビルは、まちづくり協定のなかで制限があるものの、以前から比べると高くなっていると感じる。たとえば、毘沙門天の境内から神楽坂通り方向を見たときの空の抜け方が少なくなっていると思う。 

テーマ【開発】 案内人:山本武彦
Ÿ   3つの通りを巡り、改めて神楽坂通りの賑わいを実感した。牛込中央通り、外苑東通りは人影もまばら。
Ÿ   神楽坂通りと他の2つの通りは何が違うのか。測定器で通りの幅を測ってみた。そして歩いている人を観察した。
Ø  神楽坂通り10 m   ゆっくりお店巡りをしながら歩いている。
Ø  牛込中央通り 13 m            目的地に向かって速足で歩いている。
Ø  外苑東通り 30 m  目的地に向かって速足で歩いている。
Ÿ   神楽坂通りと他の通りの違いは
  人が歩くのに心地よい道幅
  独自の歴史文化的な背景
  Eat & Walk
  お店とコミュニケーションを取りやすい雰囲気
  歴史のあるお店が点在
  狭い間口
  線ではなく面を感じる街
Ÿ   お店の間口が狭く、歴史あるお店が点在することは「ジェイコブズの 4 原則」うち、以下に通じる街の魅力と言えるでしょう。
  道路は短く幅狭く、曲がっていること
  古い建物を大切にのこすこと

テーマ【イノベーション】 案内人:山下馨
Ÿ   路地界隈~理科大近辺~奥神楽坂~裏神楽坂を散策。
Ÿ   路地界隈は古い建物多いと思ったが意外と新しい。イタリアン、フレンチなど外国の店も多数。
Ÿ   敷居が高いと思ったが、ドラマの撮影のせいか気軽に来られるまちだった。いろいろな層の人がいる。
Ÿ   建物外見そのままで内部リノベしているものが見られる。そこが神楽坂らしい。
Ÿ   奥~裏神楽坂では、ブックカフェなど複数の機能の店が多くみられた。

テーマ【大久保通り拡幅の影響を見る】 案内人:鈴木俊治
ルート 兵庫横丁~本多横丁~筑土八幡町(拡幅完成部)~拡幅後にできた狭隘敷地レストランで昼食~寺内公園~大久保通り沿いに牛込中央通り~外苑東通り~北町~森戸記念館
参加者の感想
Ÿ   道路拡幅が中途半端な形で行われている。地盤面の高低差の解消はどうするのか?いびつな道路空間であり、子どもの居場所が無い。
Ÿ   理想と現実が混在している。
Ÿ   行政は粛々とやるだけ。だめといってもそれだけではだめ。
Ÿ   50年前に住んでいた人からみると、今日のありようはどう見えるのだろうか。拡幅されたときに住んでいるのは今の人ではない。住民はまちの変化を受け入れるのだが、町の主体性はどうなるか。今は過渡期にある。
Ÿ   空き地(道路用地)のおもしろい活用はできないか?
Ÿ   地域にとっていいような形で実現されればよい。そのためには住民はどう考えていけばよいのか。
Ÿ   この状況を知って活動することは、他の町にも示唆を与える。
Ÿ   車線増加必要か?車は少ない。周辺や大久保通り周辺で渋滞ないなら拡幅の意味はない。歩道や自転車道路を拡げるというのもあり。
Ÿ   神楽坂の路地は落ち着く。大通りは落ち着かない。中国の大通りは落ち着かないし、迷う。日本の都市計画は細かいが中国はでかい。どちらがよいとはいえない。日本では時間的に長くかかりすぎて結果まちがバラバラになっている。(中国人留学生)
Ÿ   日本の伝統的な建築でイタリアレストランがあるのはおもしろい。
Ÿ   拡幅で突っ走るのではなく、住民の声も入れて見直すことも必要ではないか。







2018年1月11日木曜日

大久保通り拡幅計画 テレビ放送されました

大久保通り(都道放射25号線)拡幅について、1/7のTBSテレビ「噂の東京チャンネル」で放送されました(写真は現地で取材の様子)。番組では、東京オリンピックを理由として眠っていた道路整備が進められることについての疑問、商店街の分断への懸念、立ち退かざるを得なかった人々がお気の毒であること、大久保通りの交通量が減っていることなどが報じられました。


 一方、道路整備にはこれから非常に長期間を要し(現在の用地取得率は10%)、その間は道路予定地は金網囲いの空き地とされること(区の協力があれば有効活用の可能性あり)、道路整備と沿道地区まちづくりがまったくリンクしていないことなどは報じられませんでした。

 放送では、大久保通り整備の理由として、都の回答として「都心部の道路通行の円滑化」が挙げられていましたが、都心主要道路の通行量も近年は横ばいか漸減傾向にあります(下図)。自動車通行のための道路整備は既に大義を失っているのに、都市計画決定済みだから、事業認可されたからという理由で、時代が変化しているのに省みることなく進められています。しかも都市計画決定されているのは全体幅員のみで、その内訳、すなわち道路空間の使い方~歩道や車道の配分など~は事業計画変更で可能なのです。将来の人々に恥ずかしくない公共資産として、道路空間の整備や使い方を見直すべきと考えます。



 放射25号線で、後楽園方面から神楽坂近くに至る整備、開通済み部分は、人も車もまばらな状況です。少数の通過交通に快適なだけで、地域を分断しています。これが21世紀の東京のあるべき姿とは、とても思えません。


  
新宿区はS63(1988)、神楽坂地区を「まちづくり推進地区」に指定しました。H3(1991)には「神楽坂地区まちづくりの会」が発足し、翌H4(1992 )には同会によって「神楽坂地区まちづくり推進計画」が策定されました。

 その後、まちづくり組織としてH15(2003)には「NPO粋なまちづくり倶楽部」、翌H16(2004)には「神楽坂まちづくり興隆会」が発足し、新宿区と共に神楽坂地区のまちづくりを推進して来ました。実に30年間に亘るまちづくりの歴史が神楽坂にはあります。

 他方、東京都が進めようとしている「大久保通り拡幅計画」のコンセプトは「都心部の道路交通の円滑化」です。いま私達は皆さんに問いたいと思います。「道は誰の為のものか?」と。都心部にあっては、もはや「車の為の道ではなく、人の為の道」でなければならないのではないでしょうか?131億円の税金を投入して東京都が大久保通りを拡幅するのであれば、拡幅する部分の多くはそこを歩く人々のための物でなければならないと考えます。

大久保通り拡幅問題がテレビで放送されます

 1月7日(日)13:00からTBSテレビ「噂の東京マガジン」で、神楽坂の中央部を通る都道・大久保通り拡幅計画が放送されます。昭和21年に都市計画決定されたまま、長年動かなかった道路計画が事業決定され、徐々に用地買収が進められています。

  現在の幅員18m片側1車線が、30m片側2車線にされる計画で、街の分断が危惧されます。一方大久保通りの自動車交通量は、1994年のピーク時から30%以上減少しています。

  神楽坂は公共交通の便がよく、歩くことを楽しめるまちです。諸状況から、道路空間が広がるのはやむをえないとしても、自動車中心社会から脱し、広がる空間を歩行者中心の空間にしていくことは、これからの社会において十分に意義のあることではないでしょうか。

神楽坂上交差点 道路予定地の建物が除却され、既に1年以上空き地に。
長期化が予想される。
 

2017年9月2日土曜日

神楽坂のみちと交通を考える

 9/1(金)19:00より、神楽坂大学まちづくり住まいづくり塾で「神楽坂のみちと交通を考える」行いました。歩きやすいまち、みち、交通、都市計画はどうしたらよいか、検討しました。おもな意見(要旨)は以下のようでした。簡単ではない問題ですが、検討を続けたいと思います。

 神楽坂通りは、通過交通を排除して生活道路とすべき。歩車道の段差もできるだけ解消したい。
 歩車一体型で、車道部分を石畳的な仕上げにし、車が通りにくくなるようなしかけはニュータウンなどで事例がある。神楽坂通りでも可能性があるのではないか。
 子どもが道路で遊ぶようなことは、今ではほとんどなくなった。保護者から、子どもを守るためのガードレールをつけるよう、行政に要望が出る。水路のそばの柵(落ちないように)、公園のボール遊び禁止(近隣に迷惑)など、どんどん規制が多くなっている。
 神楽坂近くで、マンションの駐車場に空きがでて、料金が下がっている。現在35,000円であるが、近隣の相場を調べたら25,000円だった。マンションの収入減になるので、外部に貸すことを検討している。他のマンションでも駐車場の空きが少なくない。
 神楽坂は人間中心のまちとすべき。歩行者天国は、現在の時間帯や曜日を拡張しても良いのではないか。
 外苑東通りは、10年をはるかに超えて30年近く道路事業をやっており、一向に進んでいず、道路予定地は空き地のままである。かつては商店街があったがすっかりだめになってしまった。
 シェアード・スペースについては、丸の内の仲通はそのようなイメージである。ルールはないが、人が優先されており、人と車が共存している。
 ドイツでは中小都市でも個性があり、多くの都市で路面電車が走りコンパクトなまちになっており、市内では人と車が共存あるいは人が優先であると感じる。一方アウトバーンは高速移動のために特化している。
 神楽坂らしい人と車の融合モデルがつくれるのではないか。
 日本ではひとつ悪いことがあると、100の良いことがあってもNGとしてしまう。人間を信頼し、良い方向に持っていくべきではないか。
 神楽坂通りは、意外と車が人に優しい。歩行者が車道に出てくるのをわかっているドライバーが多いのでは。現在は人と車が融合しているほうだと思われ、それをもっと融合する方向に持っていければよい。大久保通りは筑土八幡交差点まで出来たが、人にも車にも使い勝手が悪い交差点ができ、飯田橋方面は以前よりも渋滞が多いように感じる。
 大久保通りはじめ都内の道路で交通量が減っている状態で、なぜ道路の拡幅が必要か?成熟時代のまちづくりをすべき。
 神楽坂通り沿道の住民にとっては、歩行者天国は不便。坂道を車椅子で上がるのはとても大変だ。歩行者天国ではなく、神楽坂では人と車が共存すべき。
 大久保通りは片側2車線とすべき。若松町あたりは結構混んでいる。
 そもそも神楽坂1-5丁目と6丁目はまちの成り立ちが違うので、そこを結びつける意味はない。
 大久保通り、坂上交差点の空地はさびしい。なんらか活用して、にぎわいを創出すべき。シェアード・スペースの考え方はおもしろい。
 大宮では、道路拡幅予定地の利活用に向けた社会実験を行う予定で、カフェなどの出店者を募集した。神楽坂でもそのようなことができないか。
 どんなみち空間にしたいのか、ビジョンを持つことが必要。
 神楽坂通りは歩行者通行量が多い。歩道の一部には自転車や看板が置かれ、歩きにくい状況になっている。


2017年8月4日金曜日

カーフリー神楽坂祭り

726日から29日までの4日間、第46回神楽坂祭りが行われました。最初の2日間はほおずき市、地元名店の露店市、NPO粋なまちづくり倶楽部による浴衣でコンシェルジェなどが行われ、後半2日間は阿波踊り大会です。以前から、阿波踊り大会のときは自動車通行止めとされましたが、今年から前半2日間も通行止めとなりました。露店は歩道と車道の境界部に設けられるのですが
、以前から歩道の人込みが大変なレベルで、特にメイン会場の毘沙門天前あたりは身動きがとりにくいほどの状態になり、祭りの主催者である商店会からは車両通行止めを警察に要請していたのですが、4日間連続ということに対して難色が示され実現しませんでした。しかしあまりに混雑して歩行者と自動車の接触事故などの危険があり、歩行者にもドライバーにも不適切な状態であったことから、ようやく実現しました。

 予想では、車道が歩行者に開放されるので、混雑は幾分緩和されるのではと思いましたが、実際は予想を大きく上回る人出で、毘沙門天前の歩道の状況は変わらず、車道も人であふれ、歩車道の境界にある縁石には多くの人たちが座っていました。その多くの人たちは露店などで購入した食べ物、飲み物を楽しんでいました。人は食べ物・飲み物を楽しめ座れそうな場所があれば、あまり快適ではない条件でも座ることを確認しました。これもパブリックライフですが、しかしあまりの混雑も考えもので、混み過ぎていて回避した人も相当いたようです。


 NPOの浴衣でまちあるきも、受付を設けた毘沙門天境内付近があまりの混雑のため、ゆっくりまち歩きを楽しむという雰囲気ではなく、お客さんはかえって少ない状況でした。車の通行止めは今年初めての試みで、露店の配置などは、車道と歩道の行き来をしやすくするなど、今後改善の余地があると考えられます。

神楽坂通り 歩道 毘沙門天前

神楽坂通り 毘沙門天近く 車道

歩車道の間の縁石には多くの人たちが座っていました



2017年5月21日日曜日

まちづくりの「物語」をつくる

まちづくりの「物語」をつくる
神楽坂大学講座 第176回神楽坂まちづくり住まいづくり塾
今、あらためて!神楽坂まちづくりシリーズ 第5

5/12(金)19-21時に行いました。語り手は中島直人さん(東京大学都市工学科准教授)
 です。

◆富士吉田市のまちなみと御師の家
Ÿ   鳥居のなかに富士山が見える。富士山のふもとのまち。参道の先に富士浅間神社の本家がある。この参道は世界文化遺産の構成資産となっており、鳥居から先は聖域となっている。
Ÿ   16世紀に計画的に出来た街であり、参道沿いにまち割りがされている。
Ÿ   浅間神社から先は登山道になっている。現在は登山はレジャーだが近世以前は信仰による登山だった。ここは、江戸時代から、登山の前に泊まるまちであった。江戸時代は富士講が集団で富士山にやってきて、その世話をする家が御師であり、最盛期には80件ほどあった。御師とは半ば神官でもあった。
Ÿ   御師の家は表通りからちょっとうらにある。なぜか?表通りから少し下がったところに、道に並行して流れる水路があり、それは禊の川である。そこを渡ると御師の家があり、奥へ奥へと誘う。
Ÿ   今は五合目まで車なので、このまちはスキップされてしまう。表通りからは御師の家は見えず、表通りの建物は新しく、経済成長期に出来たものである。
Ÿ   富士山は自然遺産ではなく文化遺産で登録された。御師の家には重文もある。吉田登山道は近世から同じで残っている。
Ÿ   住民に、「まちの何を誇りに思いますか?」と聞いたところ、「街全体が歴史の物語のなかにあること」という発言が、まちのデザインを考えるワークショップであり、感銘を受けた。まちが物語のなかにあり、紡がれていることが大切。
Ÿ   神楽坂でも「粋なまち神楽坂の遺伝子」という本があり、物語を伝える手段となっている。
Ÿ   地区計画やまちづくり協定は物語を刻み込んだ制度、物語がそこに表現されている。
Ÿ   まちづくりの文脈(遺伝子)を次世代に継承していくための「物語」にはどのような形がありえるか。

◆物語とストーリーと物語
Ÿ   「ストーリー」とは、「世界を時間と個別性のなかで理解するための仕組み」である
物語は、ストーリーの発現系である。人間は時間的前後関係のなかで世界を把握するという点で、ストーリーの動物である。そのストーリーを表現するフォーマット=物語に人間の脳は飛びつく。人間は物語る動物である。(出典 千野帽子 「ひとはなぜ物語を求めるのか」、ちくまプリマー新書、2017
Ÿ   語られないストーリーがたくさんあるはず。それをどうやって発掘し、表現し、共有するか。

◆根岸 この先階段ありの道
Ÿ   なんでもないような道に、この先階段ありの標識があった。車は入れるが、階段3段あり、車は入れない。これは、積極的に残している痕跡があった。そこはちょうど台東区と荒川区の区界であった。明治時代の地図で確かめたところ、そこには川があり、それが区界だった。川に下りていくところに階段があったのだった。そのように、いろいろな物語が見えてくる。
Ÿ   車を入れたくないという意思、いい意味での閉鎖性を失わないため、階段が残されたのではないか。今はマンホールが残るのみだが、歴史を見れば地形の差がわかり、川があり、そこが区界であった。そういうことがすべての場所にあるが、語られていない。

◆藤沢は、江戸時代の宿場町であっただけではない
Ÿ   旧東海道藤沢宿は、市によって街並み継承地区に指定されている。江戸時代のまちわりが残り、まちなみ伝承館も設けられた。しかし旧東海道は近世になってできた道であり、周囲にはそれ以前の道があった。縄文時代の遺跡がある砂丘などもある。藤沢には、宿場町だけではなくさまざまの歴史、道がある。そこで選択されるストーリーとされないものがある。複数の物語が輻輳する。

◆小さいおうち Virginia Lee Burton The Little House など 絵本による定点観測表現
Ÿ   まちづくりの「物語」の布石になる。ちいさいおうちを定点観測し、アーバニゼーションを批判したものと解される。定点観測した家の絵を並べるだけで物語になる。
Ÿ   The Changing Countryside , Changing Cityなども同様。横浜の「ある都市の歴史」は北沢猛先生によるもので、開港前から現代までの横浜都心部を同じ鳥瞰で見たもの。絵本による時系列表現である。
Ÿ   これらは誰に向けてのものか?専門家向けではなく市民向けであり、ストーリーを理解、共有すること、過去をしっかり理解することを目的としている。それにより、まちが語られだし、まちづくりのストーリーが生まれてくる。

◆津波の記憶と復興の意図の環境的継承
Ÿ   釜石には震災前から通っていた。山すそに張り巡らされた避難道路(津波記念道路)があり、これは釜石湊絵図にも描かれ、明治三陸津波の後に設けられた。眺望が良いので普段から市民の散歩道になっている。津波の時には縦(上)に逃げることが指示され、そこに逃げる場所があった。津波の恐ろしさと避難方向を示すため、避難道路に看板が設けられ、現在では観光ボランティアがここを紹介している。東日本大震災ではこの道で助かった人もいる。
Ÿ   ある避難案内図で、狭い民有地の階段が指示されている。そこを抜けていくと避難道路にいたるが、そこに佐々木家稲荷神社があり、そこは信仰の場所である。避難の道は信仰の道でもあった。3.11後、そこの家はなくなっていたが、外階段はあった。稲荷神社の近くに、三代前の人が立てた場所の由緒を示す看板があった。明治三陸津波から逃れた物語が書かれていた。碑や桜並木も復興の記念として残されている。
Ÿ   場所でわかることが大事、体で理解すること。避難の追体験ができる。記憶力豊かな環境の形成が復興におけるひとつの目標となる。

◆ニューヨークの取り組み
Ÿ   都市文化としてのまちづくりの「物語」がつくられながら、ニューヨークにおいてさまざまな公共空間の再編がされている。
Ÿ   NYの都市計画の歴史を、人物や事象で振り返ることができる。それはJane Jacobsから始まった。Janet Sadik-Khanらの取り組みにより、公共空間が大きく変わり始めた。
Ÿ   Robert MosesPower BrokerとしてJane Jacobsと対峙するかたちで語られるが、彼の業績も再評価されている。Mosesが主導したインフラがNYを支えている。The planetizen top 20 urban planning books of all timeのトップはJacobsのアメリカ大都市の死と生だが、Mosesについて書かれたThe power brokerも上位にある。MosesJacobsの違いは「公共善 public goods」と「共通善 common good」である。このふたりを再評価する書籍も最近出されている。Bob Dylan1961年、デビュー前にJacobsとともに、Mosesを批判する内容の詩を書いた。曲にはなっていない。
Ÿ   専門家だけが語るのではなく、いろいろな物語が掘り起こされる。A Marvelous Orderという、An opera about Robert Moses and Jane Jacobsも上演された。それらは、まちのイメージ、ビジュアルパレットとなっていく。JacobsMosesなど個人というよりもまちの物語である。都市づくりの物語がカルチャーとして蓄積され、多様な物語が尊重されることに意義がある。

【中島先生のまとめ】
今日はカルチャーの話が中心だったが、テクノロジーについてもあわせて考えていくことが必要。特に情報技術はまちの物語に触れる窓口になる。 
以上






2017年4月22日土曜日

「神楽坂とアジアの動態的保全」神楽坂まちづくり住まいづくり塾

4/7 神楽坂まちづくり住まいづくり塾
「今あらためて!神楽坂まちづくりシリーズ第5回」が開催されました。
「神楽坂とアジアの動態的保全」
講師:東京大学教授窪田亜矢さん
プレゼンテーション
■神楽坂での動態的保全の経緯
・神楽坂のまちづくりは凍結的に魅力を決め切らず、常に新しい方向を模索し、社会に「こんな取り組み方がある」という姿勢をみせてきた。具体的には保全しながら変化していく動態的保全が行われてきた。
・たとえば、景観が壊れる懸念から建設反対をしてきたマンションも建設された後には、受け入れ方策を検討し、その結果、新規居住者がまちづくりに参加していく流れがある。
■バンコクでの動態的保全事例
・1980年頃のまちづくりは開発による居住者移転が発生し、コミュニティ崩壊が伴うものであった。観光も視野に入れながら界隈の事業者が追い出されない保存・開発のプランニングを大学関係者と地元が一緒になって練り上げた。
・一つの例として、川沿いの市場周辺地区では、博物館建設や緑地整備の計画が立ち上がったが、火事の見回り等を行っていた住民組織と大学関係者が、丁寧な空間調査や意向把握を行った結果、行政のプランも市場を残した動態的保全の方向にシフトし、オリジナルな価値を残し、人々が住みながらインフラや動線を確保する整備計画が立案された。
・他の地区でも、住民が地域の歴史やコミュニティにポテンシャルを感じ始め、大学関係者が調査を行い、イベントを仕掛けるなどして、水場づくりや古建築の修繕、宗教施設の開放等が行われている。
【意見交換】
・アジア諸国の経済レベルは上がっており、歴史的地区を生かした動態的保全によるまちづくりが横並びで行われていけば、アジア全体という視点で捉えても多様性のある魅力が獲得されていくのではないか。
・動態的保全により良好な地域が形成されれば不動産価値が上昇し、住民の意向とは別に商業的な観点から改変されていくことにはならないか。
-住民で維持できないものも出始めている。難しい問題であるが住民が住んでいることがアジア大都市の賑わい地区においては根底の魅力を形成するものであり、住民主体であることを維持し続けることが重要。
・生活環境や宗教を保全することで異質な文化が隣接する状況が形成されている。互いのコミュニティ維持はどのようにおこなわれているのか。
-特に宗教に関しては、過干渉ではなく、むしろ無関心だったと理解している。それがお互いを尊重しようという機運が生まれたのが、先の事例だと思う。
-神楽坂では旧住民・新住民という構図があるが、7~8年前まではコミュニティは存在しなかったが、最近はNPOを通じてまちづくりに関わる人が増え始めている。
-建物的にも路地にオープンな店が増え始めており、違う文化が混在し始めている。
・バンコクでの動態的保全活動のきっかけは。また、最終的にどこに向かおうとしているのか
-きっかけはかつての開発によりコミュニティが崩壊するという痛い目をみたこと。最終的な方向性は一つではなく、たとえば経済的活性化を考えている人もいるだろうし、文化財的保存を考えている人もいるかもしれない。総じて今の状況を良しとしているのではないか。
・大きく変わっていこうとしている神楽坂に対抗するためには、まちの声を大きくしていく必要がある。改変の圧力に大きく負けてしまうと取り戻すことが不可能になる。「住民が参加すると保全型になる」という言葉がキーワード
-動態的保全はウォッチするだけでもすごく手がかかる。住民不在では開発か凍結型保全の2択になる。
・神楽坂では住民意識と民間企業(保全・開発)のバランスをどうとっているのか。
-前までは住民は街並みなどにあまり意識はなく、外部の人の方が意識していた。そういった店が増え「神楽坂はいいね」という声を聴いて住民も意識しだした。今はいいバランス。
・住宅地での動態的保全はどう考えていけばよいか。
-木造密集地域という側面もあり難しい。大規模な再開発的な整備には注意が必要。
・動態的保全するにも稼いでいかないと何もできない。経済活動的には開発・保全のバランスが必要。
・金沢では主計町など歴史的なまちで過疎的な状況が発生している。前市長による施策が良好であったため、まかせすぎた反動が今、起こっている。地域コミュニティ主体によるまちづくりが重要。