2018年6月28日木曜日

神楽坂よ何処へ行く シンポジウム対談要旨


神楽坂シンポジウム「神楽坂よ、何処へ行く?」
2018624日@理科大森戸記念館
要旨 
※以下はシンポジウムに参加した鈴木がメモを元に要旨をまとめたものであり、発言者の確認を得たものではありません。(文責:鈴木俊治)

対談:西村幸夫&椎原晶子



【東京の歴史文化都市宣言】


Ÿ   「美しい日本の歴史的風土100選」に、東京からは2地域が入っているが、そこに谷中と神楽坂が含まれている。東京中で近代的な都市建設が進められているが、そのなかにあって谷中や神楽坂は貴重である。世界の著名都市では、その中心部に歴史的街並みが残されているが、東京にはそういうところがほとんどない。谷中と神楽坂が連携し、東京の歴史文化都市宣言をしてはどうか。

【谷中の歴史的建築の再生と活用】
Ÿ   NPOたいとう歴史都市研究会と、建物再生を行う株式会社まちあかり舎(NPOが生み出した会社)がタイアップし、建物の再生を実現している。
Ÿ   建物の再生は、単に「建物」というハードではなく、ひと・こと・もの全てに係わるものであり、「人事物件」である。NPOが物件再生の企画、仲介(紹介)を行い、家賃保証し、管理運営委託を受けるなどを行う。規模が大きいなどでNPOでは買取や管理を受けきれない場合は、大家と事業者をつなぐ役割までのこともある。NPOとしての活動では不十分なこともあるため、昨年に事業会社「まちあかり舎」を立ち上げた。
Ÿ   谷中にはまちの結束がある。まちの建築の多くは低層2-3階である。1998年、ある敷地にD社が9階建てのマンションを企画し建築確認を取得した。そのことが地域に告知されて1ヶ月ほどで、地元の寺方とまち方が結束して反対運動のための会を結成した。マンション業者の説明会には黒袈裟を着た僧侶がずらりと並び、谷中に合わないことをやるのかと説き担当者をたじろがせた。一方、9階建てを4-6階建てとしてさほど容積は減らない代案を提示し、D社の社長も納得させた。D社は建築確認を取り下げ、4-6階建てのマンションを建設した。会社にとっても地域と協力した物件として宣伝になっているようだ。その後、その地区では建築協定で高さ制限をすることにつながった。そのように、単に反対だけではなく提案型としたのが奏功した。
Ÿ   一方、1件ずつ提案型で取り組むのは負担が大きい。ダウンゾーニングなど、低層の街並みを残す方策が必要である。現在の制度は建て替え促進のものばかりで、残す制度が無い。建て替えと残す、その両方の手法、制度が必要である。

【社長がいるまち】
Ÿ   多くの商業地は、店長はいるが社長はいないまちとなってしまった。
Ÿ   個人のスターではなく、まちを守る人々が必要だ。それがまちの防災のためにも必要。

【まもるべき価値】
Ÿ   まちとして守るべき価値は何か。ソフトやイベントはいろいろ動くが、ハードはどうか。
Ÿ   路地というだけでは不十分。単に景観、店というだけではなく、武家地の歴史、みちの変遷、多様な回遊性なども文化であり価値であろう。
Ÿ   神楽坂のコモンズとは何か?部分と全体の最適化は、どこでバランスされるのか。高い開発圧力からコモンズを守るにはどうすればよいのか。そのリーダーは?コントロールの方法は?日本中でそのような課題を抱えたまちが増えている。
Ÿ   東京ローカルの歴史、文化を大事にする、都市の再生ビジョンが必要である。

【家賃の高騰】
Ÿ   資本主義社会ではそれをコントロールすることは難しい。安くやれそうなところに新しい事業が出て、それがまちを変えていく。そこから新しい価値が生まれる。資産価値があがることは、悪いことではないだろう。

【まちの価値と保全】
Ÿ   かつて銀座に吉本が進出したが、数年で消えていった。お客が受け入れない。銀座フィルターがある。
Ÿ   土地を持っていても、地代の代わりに固定資産税、更新料の代わりに相続税がかかる。相続税は億単位の額となる。土地の全部または一部を売りに出し、残った敷地で何か事業をやるといった選択肢しかない。
Ÿ   歴史的木造建築を保全するため、株を持っている人に株を売って土地を買ってもらう。その利益が株の運用益を超えればよい。それぞれ持てるものを活かしてみんなが活躍できるとよい。
Ÿ   「神楽坂らしさ」に似合うものはどうやったら養成され、継続されるのか。どのようなフィルターか。来訪者も一緒にその価値を共有するにはどうすればよいか。
Ÿ   まちは人が主人公。谷中は人々がまちに密着し、コミットメント度合いが濃い。神楽坂にはその感覚が薄い。
Ÿ   文化イベントが神楽坂のフィルターを作っていくのではないか。
Ÿ   近年、神楽坂ではガールズバーなどが増えている。区や警察も管理しきれない。
Ÿ   谷中は「不良住宅」といわれるが、なにが「不良」か。基盤が未整備であり木密だからというが、それで不良か。
Ÿ   谷中で2009年にカヤバ珈琲店が再生された。その2年後に、初めて他のオーナーから、うちの物件もなんとかできないかという相談を受け、やっと来たという感覚であった。不動産事業として、選んでもらえる魅力が必要。
Ÿ   カヤバ珈琲の向かいのコーナーにはみかんぐみが設計した白い建物がある。現代的なものだが、それも谷中らしいと思える、しっかりデザインされた建物である。
Ÿ   江ノ島は近年観光客が増え、まちが大きく変わりつつある。長年まちづくりに取り組んだ成果である。一方、類似の条件下にあった城ヶ島は取り残された。
Ÿ   次のステップとして、何が必要か。


以上

2018年6月17日日曜日

大久保通り拡張を機としたまちづくりシンポジウム

2018年6月3日(日)、標記のシンポジウムが行われました。大久保通りの拡幅事業が進められるなか、将来拡がる道路空間をどのように使うべきか、また、事業期間が長期にわたることが予想され、その間の対応をどうするか、様々な意見が出されました。その結果を紹介します。

201863日(日) 午後2時~430
■理科大森戸記念館
■参加人数:52

1班 テーマ:買い物(商業者、お客さん)
ファシリテーター:山下
Ÿ   サービス提供者側の人たちがグループに入った。
Ÿ   拡幅で、坂下、坂上の二つの商店街は分断されるのか?
Ÿ   拡幅はどんなよいことがあるか、どんなダメージか?
Ÿ   メリット
Ø  歩道が広くなり歩きやすくなる
Ø  自転車の道ができる
Ø  歩道スペースで駐輪できる。時間貸しも可能。
Ø  歩道を生かしたイベント 屋外店舗ができる。
Ø  最大のメリットは商業的には空間が広がること。
Ø  外からのお客を迎えるのに駐輪などのスペースが取れる。
Ÿ   ディメリット
Ø  坂上交差点を中心に、上と下が分かれてしまう。早稲田通りとしての一体感がなくなる。
Ø  イベントがやりづらくなる。
Ø  わたりづらさが増す。人の動線が切れる。どちらかにしか行かなくなってしまう。
Ø  一方が衰退する危険性もある。
Ø  まちとして商業的な魅力が薄れる。幅員30mになると、そちらからちょこっと入る感じになってしまうのでは。
Ø  景観的な魅力がダウンする。
Ÿ   ディメリットを排除し攻めていくことが必要。

2班 テーマ:生活(子育て、高齢者支援、福祉)
ファシリテーター:中島
Ÿ   拡幅によってどういう心配があるか?
Ø  道路横断できるか。信号の時間が短く渡れるか?段差ができるのではないか。
Ÿ   放射25号線の文京区側は道路ができた。そこでどういうことが起こっているかよく見るべき。
Ÿ   道路の完成部分は自動車通行量が少なく、歩行者が信号ないところで渡っている。自動車の利便性のため信号が少ない。そうなったらこまる
Ÿ   道路拡幅した場合、レーン数や段差はどうなるか。自転車レーンはどこがベストか。
Ÿ   車線が増えると一時路上駐車が増えそう。
Ÿ   清掃活動をしている立場(グリーンバード)からみると、道の管理、歩道の管理や清掃をどうするか気になる。神楽坂は道に対するまちの意識が高いのではと思う。とはいえ近年来街者が増え、ゴミも増加している。 
Ÿ   自分たちですることと、行政にお願いすることの両方を考えるべき。
Ÿ   道路用地(空地)の管理をどうするか。喫煙スペースとするか?喫煙者も排除ではなく受け入れを考えるべき。
Ÿ   今の立て看板、放置自転車をどうするか。
Ÿ   魅力的なみち、魅力的な交差点にするにはどうすればよいか。
Ÿ   道路用地(空き地)を休憩所に使えないか

3班 テーマ:文化・イベント
ファシリテーター:日置
Ÿ   まちとびフェスタ実行委員が多く参加。
Ÿ   大久保通り拡幅でイベントはどうなるか?建設途中段階とできたあとに分けて討議した。
Ÿ   拡幅後は、意外と心配はない。基本的に最初からまちを面でとらえているので、道が広がること自体はOK
Ÿ   歩道が広ければ、活用可能性広がる。まちの横方向(縦は神楽坂通り)に拡がる。
Ÿ   完成までが問題。いつできるか見えない。空地が目立つ。
Ÿ   イベントで空地を利用する。例えばキッチンカーを入れる、坂にお絵かきをしたものを見せるなど。
Ÿ   空地の見た目自体をどうするか。
Ÿ   広い歩道をどうやって利用するか。
Ÿ   大久保通りの両サイドでフェスタやおまつりを行い、まち全体でイベントやっているようにしたい。
Ÿ   神楽坂は、外からみると一つの神楽坂に見えている。
Ÿ   物理的な幅はひろがるかもしれないがソフトでカバーしたい。
Ÿ   神楽坂を面でとらえると、大久保通りは単なる通りのひとつ。それよりも路地に着目して活動をしていきたい。

4班 テーマ:まち並み景観・スケール感
ファシリテーター:鈴木
Ÿ   このグループには比較的地元の人が集まり、地元の視点で討議した。
Ÿ   拡がるとして、どのようなみち、空間にしたいか?
Ÿ   緑豊かで気持ちよく過ごせる場所に。神楽坂には広い公園がない。
Ÿ   大久保通りは初めから賑わいの道ではなかったので、散歩の道、休める道にすると良い。神楽坂には休める場所がない。ベンチなどを置いて。
Ÿ   ゆっくりと過ごせる場所。犬の散歩もできて。
Ÿ   まちの風格を形成するものとして、大木があるとよい。
Ÿ   文京区の播磨坂のような緑道がよい。(都市計画道路を緑の空間にした)
Ÿ   広がったところでイベントできるとよい。普段は公園のような使い方。
Ÿ   特定の祭り以外の時もコーヒースタンドなど出せると良い。
Ÿ   神楽坂は人が主役のまち。歩きやすく、散歩を楽しめるみちがよい。
Ÿ   車道は最小限に。防災用必要なら、平常時は歩道とし、非常時は緊急車両が通行できるようにするという方法もある。 
Ÿ   歩行者天国の時間拡大を。土曜日の午後も歩行者天国にできるのではないか。商売上は可能。ただし警察の許可がなかなか取れない。
Ÿ   坂上と坂下の分断が懸念される。
Ÿ   大久保通りを地下化すればよいのでは。
Ÿ   車道が広がるとお年寄りがわたるには厳しい。広めの中央帯分離帯を設け、そこを緑道にすればよいのでは。
Ÿ   神楽坂通りに統一的舗装を施し、一体感を生み出す。大久保通りをその歩道が横切る。
Ÿ   どんな雰囲気になるのか。神楽坂らしい新しいシンボル的な空間になると良い。
Ÿ   昔の施設を想起できるものが欲しい。かつて大久保通りの近くには劇団などもあったが、今はその痕跡すらない。
Ÿ   みちの新しい名称をつけたい。大久保通りではなく。
Ÿ   歩道が拡幅されても、沿道が全部マンションやビルでは、まちは賑わわない。音羽通りのような、壁の連続にはしたくない。
Ÿ   協定で1階は商店にしてはどうか。
Ÿ   車道を広げるとタクシーの待ち行列で占拠されてしまうのでは。

5班 テーマ:ビジター目線の楽しみ
ファシリテーター:西谷、藤野
Ÿ   インフラが変わるなら、それに合わせてまちが変わることも魅力的。どういう風に変わっていくのか楽しみ。
Ÿ   30mという道路空間は神楽坂では歴史上初めて どういう位置づけになるか。納得いくものになって欲しい。
Ÿ   並木道は地域の価値を高める。
Ÿ   道は広がっても壁だけになるのは避けるべき。
Ÿ   店などが連続し、賑わいを作り出す。
Ÿ   暫定的な利用をしていく。
Ÿ   今の神楽坂通りの問題点は、出店できるのは大資本のみで、個人は店をだせない。そこで大久保通りの拡幅残地の不整形な土地に個人出店できないか。道路完成までに長い時間がかかるなら、その間安い地代で、時限限定の店を出せるようにできないか。個人出店する場合、地代や建物の負担は難しい。それを仕掛ける側になる商店会やNPOなどが絡んで、公的な仕組みをつくる。
Ÿ   まちがテーマパークのようになってしまうと飽きられる。まちの更新ができる空間が、大久保通り沿道にできるとよい。まちの新たな魅力になる。
Ÿ   坂上交差点の現状はまちのイメージダウン。何か早く手を付けるべき。

■まとめ
(司会:日置)
Ÿ   現実に起こっている問題を前向きにとらえる。これが神楽坂のよいしたたかさである。
Ÿ   今日の主旨は、大久保通り拡幅にみんなが関心を持って実行に移すこと。
Ÿ   ひとりひとり、それぞれの場で話し、できることから意見を発信しよう。
Ÿ   私たちの活動に賛同した女性がウェブサイトも立ち上げた。本日のシンポジウム結果などもそこで公開していきたい。

(興隆会:石井)
Ÿ   今後どうしていくか、が大切。
Ÿ   神楽坂のまちづくりは平成3年から始まっている。地元と行政が連携して取り組んでおり、今日は新宿区もオブザーバーで参加された。30年のまちづくりの成果のひとつとして今の賑わいがある。今後大久保通りについて関心を持っていただきたい
Ÿ   今後の課題について時系列で整理してみると、まず今は工事前であり、道路用地(空地)の問題がある。新宿区を通して三建にも接触中。景観、防犯の問題もあり、早期に解決していきたい。地元のイベントのためなどに活用したい。工事着工は未定だが、柳町をみると過去に商店街があったが、外苑東通りの拡幅工事により大きなダメージを受けた。あのような工事の仕方にしないでほしいと三建に告げている。計画については、東京都の道路設計部門に談判して地元の要求を訴えていきたい。
Ÿ   そのためにも、地域の人々が関心を持ち、大久保通りのまちづくりビジョンをつくることが必要である。そのために、今後このシンポジウムも続けていく。

以上












2018年5月10日木曜日

Jane’s Walk in Tokyo - Kagurazaka 2018


Jane’s Walk in Tokyo - Kagurazaka 2018                                       
2018428日(土) 11:00-16:00
City Organizer - Shunji SUZUKI
サポート:NPO法人粋なまちづくり倶楽部
集合場所:東京理科大学森戸記念館

2018Jane’s Walk in Tokyo は神楽坂及び周辺地区を舞台とし、6名の案内人による6つのコースで行われました。参加人数は合計33名でした。初めにオルガナイザーからジェイン・ジェイコブスについて紹介するレクチャーがあり、その後案内人からテーマとコース紹介があり、参加者は好きなコースをひとつ選びまち歩きを開始しました。少人数だったので、歩きながらお互いに様々なコミュニケーションができました。まち歩きの後、全員が集まり、気づいたこと・発見したことなどを発表し終了しました。

各コースの概要と「気づき」は次のとおりです。

テーマ【コミュニティ】 案内人:藤野貴之
ルート:ポルタ神楽坂~花柳界~アトラス神楽坂~東五軒町あたりのマンション・白銀公園~赤城神社~赤城下町・あかぎ児童遊園~一水寮~パークリュクス~寺内公園
気づき
●アトラス神楽坂
-同潤会でのコミュニティを継承したコモンスペース(集会所・中庭・屋上庭園)は機能、デザインとも秀逸。しかし、この時代では仕方がないかもしれないが、住民以外がこの空間に入れないし気づけない。(向かいのマンションは借景として楽しんでいるようだ)
●赤城神社、パークリュクス
-建設時の経緯を日置さんより説明を受ける。赤城神社の事例があったのでパークリュクスのギャラリー、休憩スペースもできた。そういった経験を継続・拡散していくやり方がコミュニティ空間を広げていくのには非常に有効だと感じた。
●赤城下町付近の密集住宅地
-印刷工場のコンバージョンによるカフェや木造民家を利用したスイーツ店など、このエリアの空き家などが、家賃の安い物件の供給元になっているようだ。
-変にファサーードをいじるより、潔く工場の外観のままだったり、バラック小屋のような外観の方が個性がある。神楽坂らしさという点でもよく出ていると感じる。
-防災面での対応をどうするかが課題。
●寺内公園
-神楽坂は変わっていくことを悪いと思っていない。高層マンションは今でも良いとは思わないが、変わったもの、変わってしまったものの後に対立構造を残したままにせずに、何をすべきかを考えてきたことがハード面でもコミュニティの面でも今の神楽坂を作っているのではないか。

テーマ【漱石探訪】 案内人:増井敦子
お1人参加でしたが、漱石を目的に参加、その為に事前に本も読まれていて、粋まちのボランティアさんなので、今後に置いて役立つと良いかなと思い、この街の雑学も交えて、楽しくガイドさせて頂きました。
ルート
Ÿ   緑香園で、お食事をしてその際に、漱石と関わりの有ったお店を田原屋、尾沢薬補、毘沙門様を紹介して、神楽坂通りからスタート。相馬屋~寺内公園~和良だな寄席跡~丸岡陶苑~芸者新道~料亭末よし跡~軽子坂~揚場町~かくれんぼ横丁~小栗横丁(泉鏡花、北原白秋旧居跡)~理科大近代科学資料(ここで漱石と理科大の関わりビデオ鑑賞)(若宮町を通り抜けて)中町の宮城道雄記念館門前~袖摺坂~芸術倶楽部跡~尾崎紅葉旧居跡(鳥居邸)~矢来町新潮社跡(鏡子夫人実家跡らしき中根家跡)~矢来能楽堂~矢来公園(小藩邸跡、杉田玄白誕生地)~泉鏡花旧居跡~多聞院(松井須磨子の墓)~漱石山房~漱石終焉の地は口頭説明~東西線、早稲田より乗車、神楽坂を目指す。
Ÿ   歩行時間 2時間10分、距離、2.5km
 感想
Ÿ   参加者が、比較的お若く健脚でしたので、漱石以外にも神楽坂ゆかりの場所を、人を探訪する案内となりまして、その大半が路地、住宅街の中に点在。大きな通りの1本の道を歩いているのとは異なる入り組んだ道、路地、住宅街に、徳川武家社会が整備したこの街を、個性豊かな明治の学者、文豪、作曲家、女優等がこの街を文化の彩り濃い街とした背景を垣間みるまち歩きとなりました。温故知新、過去を振り返る事で、この街としての過去から現在に至る街の魅力を再認識するガイドとなりました。参加者も若松河田居住、生まれ育ちもこの地なので、その地に関わる文豪を再認識して、普段、表立って知れない街の魅力を再認識したいとおっしゃっていました!!

テーマ【景観】 案内人:西谷正
コース等
    (1) 開始後「縁香園」にて昼食をとりながら、神楽坂の概略の歴史等についてレクチャー。江戸時代~明治・大正~戦前~戦後(復興)~平成
    (2) 食後、配付資料の地図・写真をもとにまち歩き          毘沙門天~藁だな~五十鈴~坂上交差点~神楽坂駅付近~赤城神社~大久保通り(拡幅の話)~高照寺~最高裁長官公邸跡~若宮神社~小栗横丁~熱海湯階段~丸岡陶苑~陶柿園~志満金~神楽坂下交差点~JR飯田橋駅~芸者新道~かくれんぼ横丁~本多横丁~兵庫横丁~寺内公園~毘沙門天

感じたこと・意見 等
Ÿ   石畳の路地は神楽坂のひとつの大きな特徴でもあるので、いつまでも残してほしい。
Ÿ   「みち」が明治の頃からほとんど変わっていないことには驚いた。
Ÿ   「みち」と「まち」には密接な関係があると感じる。
Ÿ   まちの昭和の風景写真はたしかに昭和であるが、建物が変化したとはいえ、全体として大きく変わった(わからなくなるような変化)ものはないと感じた。
Ÿ   周り(千代田区の再開発事業等)は変わってきているが、その中で神楽坂が今のままでいることは、いい意味でギャップとなり、より特徴が明快になる。
Ÿ   神楽坂通り沿いの新しいビルは、まちづくり協定のなかで制限があるものの、以前から比べると高くなっていると感じる。たとえば、毘沙門天の境内から神楽坂通り方向を見たときの空の抜け方が少なくなっていると思う。 

テーマ【開発】 案内人:山本武彦
Ÿ   3つの通りを巡り、改めて神楽坂通りの賑わいを実感した。牛込中央通り、外苑東通りは人影もまばら。
Ÿ   神楽坂通りと他の2つの通りは何が違うのか。測定器で通りの幅を測ってみた。そして歩いている人を観察した。
Ø  神楽坂通り10 m   ゆっくりお店巡りをしながら歩いている。
Ø  牛込中央通り 13 m            目的地に向かって速足で歩いている。
Ø  外苑東通り 30 m  目的地に向かって速足で歩いている。
Ÿ   神楽坂通りと他の通りの違いは
  人が歩くのに心地よい道幅
  独自の歴史文化的な背景
  Eat & Walk
  お店とコミュニケーションを取りやすい雰囲気
  歴史のあるお店が点在
  狭い間口
  線ではなく面を感じる街
Ÿ   お店の間口が狭く、歴史あるお店が点在することは「ジェイコブズの 4 原則」うち、以下に通じる街の魅力と言えるでしょう。
  道路は短く幅狭く、曲がっていること
  古い建物を大切にのこすこと

テーマ【イノベーション】 案内人:山下馨
Ÿ   路地界隈~理科大近辺~奥神楽坂~裏神楽坂を散策。
Ÿ   路地界隈は古い建物多いと思ったが意外と新しい。イタリアン、フレンチなど外国の店も多数。
Ÿ   敷居が高いと思ったが、ドラマの撮影のせいか気軽に来られるまちだった。いろいろな層の人がいる。
Ÿ   建物外見そのままで内部リノベしているものが見られる。そこが神楽坂らしい。
Ÿ   奥~裏神楽坂では、ブックカフェなど複数の機能の店が多くみられた。

テーマ【大久保通り拡幅の影響を見る】 案内人:鈴木俊治
ルート 兵庫横丁~本多横丁~筑土八幡町(拡幅完成部)~拡幅後にできた狭隘敷地レストランで昼食~寺内公園~大久保通り沿いに牛込中央通り~外苑東通り~北町~森戸記念館
参加者の感想
Ÿ   道路拡幅が中途半端な形で行われている。地盤面の高低差の解消はどうするのか?いびつな道路空間であり、子どもの居場所が無い。
Ÿ   理想と現実が混在している。
Ÿ   行政は粛々とやるだけ。だめといってもそれだけではだめ。
Ÿ   50年前に住んでいた人からみると、今日のありようはどう見えるのだろうか。拡幅されたときに住んでいるのは今の人ではない。住民はまちの変化を受け入れるのだが、町の主体性はどうなるか。今は過渡期にある。
Ÿ   空き地(道路用地)のおもしろい活用はできないか?
Ÿ   地域にとっていいような形で実現されればよい。そのためには住民はどう考えていけばよいのか。
Ÿ   この状況を知って活動することは、他の町にも示唆を与える。
Ÿ   車線増加必要か?車は少ない。周辺や大久保通り周辺で渋滞ないなら拡幅の意味はない。歩道や自転車道路を拡げるというのもあり。
Ÿ   神楽坂の路地は落ち着く。大通りは落ち着かない。中国の大通りは落ち着かないし、迷う。日本の都市計画は細かいが中国はでかい。どちらがよいとはいえない。日本では時間的に長くかかりすぎて結果まちがバラバラになっている。(中国人留学生)
Ÿ   日本の伝統的な建築でイタリアレストランがあるのはおもしろい。
Ÿ   拡幅で突っ走るのではなく、住民の声も入れて見直すことも必要ではないか。